@donpy 通信【512号:2013/02/09版】

この夜中だから言える。

情報の取り扱いと発信の心構えについて思うこと

最近「発信」について色々な考察や、その方法論とか、モチベーションとかいろいろ語られているのを見る機会が増えました。とにかくありがたい限りです。その中での情報の取り扱いのひとつに「誰よりも早く」ってところを聞いたり見たりすることが多いんですが、それについて思うことを書き並べてみたいと思います。

「みんなよりも「いちはやく」情報をお伝えしたい」

って気持ちがすごくわかります。

私もそうです。いや、そうでした。

しかし、今の私はそこにこだわる必要がないんじゃないかと思えてきました。もちろんやれるときはやれますけども。

なぜなら最初から「いちはやく」できてなかったから。しかも今後も「できない」と思うようになったから。上には上が常にいるってこと、情報の性質は色々とあれど、どれも同じで、自分が言うことが唯一無二ってことはありえないことだということがわかりました。しかもそれを書いたか書いてないかってレベルではなく、2次情報である以上それは有名無名関係なく、どこかの誰かが必ずどこかに書いてるんだってことがわかってきたということです。

いや、やる気がなくなったということではないですよ。むしろ「わかった」という話なのです。

要するに「何に対して」あなたがいちはやくの「いち」を思うかだということに尽きると思うわけです。

それはひいては自分の情報発信のリーチをどこまで考えているかに通じると思います。

となり部屋の人に伝えたいのか、この村界隈に伝えたいのか、はたまた、県単位?国単位?世界単位?宇宙単位?????SNS単位?クラスタ単位?ネット単位??????? いろいろあると思います。その違いで、「いちはやく」の意味は変わってくると思うんですよね。

そこでの選択肢は色々あると思うんです。

では、私の場合は何かと言いますと、「発信のリーチ」についてすごく考えました。
私の現状で「いちはやく」は「何」に対してなのかをすごく考えました。

私の場合はこうです。

「私と似たようなiPhone系ブログを購読している方々に対して」いちはやく伝えようとしていたに過ぎないってことなんじゃないかと思いました。誰もが思うのではないでしょうか?「ちっさw」と。

でも、私の大義名分と言いますか、普段から普通に言っていたことはなんでしょう?

「iPhoneのよさを伝えたい」

ってことなんですよね。だいぶ違いますよね。それに気付いたわけです。遅すぎますが。いちはやくでもなければ、ブログという縛りも実はなかったわけですよ。それに気付いたんです。遅すぎますが。

なので、色々やりたいなと思ったわけです。

どこにリーチを求めるかを考えることで、発信ってのは変わってくると思います。ブログという発信媒体を突き詰めるのも一つの手だと思いますし、そこにこだわる意味はたぶんにあると思います。ただ、選択肢はそれだけじゃないんじゃないかってことも思うようになったわけです。

突き詰めれば「どうやれば1次ソースになりえるか」ってことなんですが、それも絶対ではないと思うんですよ。1次ソースもらえるやつはいいよななんて思ってる方はまたそれは危ないんじゃないでしょうかね?あれは危険物だと私は思ってます。それを取り扱える十分な知識とリスクを知っていてこそ扱えるものだと思っています。

いろいろと思い巡らせて思ったのは、情報ってものは非常に取り扱いが難しいんだということなんですよね。何次的に扱うにしても、ソースは1次だろうが2次だろうが、何次だろうが、自分にとっては非常に大事ですし、それを巡ってどう感謝の気持ちを表すかってことになれば、それこそそこにおぼれてしまうってことにもなりかねない。

そういう意味ではひとつひとつの情報に対してもっともっと敬意を払って取り組んでいかなければならない、ひいては読者を大切にしなければならないと思うわけです。やってるのは自分だけでも、ブログは自分だけで成り立っているわけではないと思うその延長線上にそれはあるんじゃないかと思ったりしました。思っただけですけど。

でもここまで言ってもひとつだけ間違いないと思うことがあります。それは

「言いたいことがあれば大丈夫」

ほんとそれに尽きると思ってます。その言いたいことの裏打ちとしてやっぱり情報ソースというのは不可欠なものになってくると思います。だから、自分が書きたいと思うことこそ他の誰かに関係なく書き続けなければならないんじゃないかと思ったりしました。自分が思ってる2番目が実は20番目とか30番目かもしれないわけじゃないですか?なんでもいいじゃない。書こうよ。ってことで。

みなさんはどう思われましたか?

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