@donpy 通信【509号:2013/02/04版】
〜 Dpub7 と @ttachi さんについて私が思ったこと。

Dpubというイベントと @ttachi という主催者

世に広まっていくということは常に「何かを選択し続け」なければならない。もっと言えば「何かを切り捨て続け」るという意味もあるのではないかと思います。

Dpub7が開催の発表にあたり私は Dpub はたちさんの手を離れたと思いました。

それはかつてのAppBankが変貌を遂げて突き抜けた瞬間と同じものに見えました。わからないのはまだ Dpub が突き抜けたのかどうかってところで、ただそう見えたという話です。

その中でいくつかの懸案が残りましたよね。

私は思うのですが、イベントに参加する「参加者」の意義とイベントを続ける「主催者」意義ってのは必ずしも一致しない。いやむしろ違って当たり前だと思ってます。

今回のイベントの開催にあたり私は「2つの競合」があったと考えています。ひとつは Dpub 中心に起こっていた新規参加者たちの席の競合であり、実はもうひとつ、たちさんを中心に起こっていた常連層の競合が起こっていたのではないかと思ってます。

そういうわけで、私は 「Dpub はたちさんの手からを離れた」と実感できたわけでもあります。 これまでの 「 Dpub = たちさん 」では決して起こりえなかったことですし、そここそがイベントと主催者の関係としては最も安定した最も良いものじゃないかと思っています。

@appbank さん、@ttachi さんからの公式なコメントはありませんが、私はこのふたりの「突き抜ける瞬間」を見ていて、まったく同じことを口にしていたように思いました。「私の手から離れなければならない」とふたりとも思っていたんだと思います。だから彼らはふっきれてた。少なくとも私にはそう見えました。

今回のような流れは、いわゆる「沸点」で、必ず通らねばならない通過点だと私は思っていますし、ふたりの人間は別の次元で「昇華」されたんだと思います。そういう意味でイベントも中の人も次なるステージに行ったんだと思います。

イベントがハブになれた瞬間は間違いなくDpub7にあったと思ってます。

ただ、みんなの幸せが自分の不幸にはならないけど、寂しく感じることってあるよね的な。そんな「人の想い」ってのもあったんだと思います。その気持ちはバカにはできないわけです。でも、一番分かっているのは主催者である @ttachi さんだと私は思っていますよ。

だからこそ私はバカにならないとと思いました。バカみたいにそんなこと気付かない振りして私はずっと協力していきたい。誤解を恐れずに言うなら、人は変わるし、イベントも変わる。その変化を否定もするし、同時にその変化をも楽しんでしまいましょうよってのがバカなのかなと。そういう風にも思ったりしました。

これからの Dpub が一体どんな方向で成長していくのか。私の興味はその一点です。それを間近で見られるのは幸せだなと思った次第です。

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