@donpy の覚醒しない日記【7】

2018/08/16

久々のツイキャス失礼しました。

ちらっとツイキャス

ま、いつもながら大したことは話してないんですが、ちょっとTwitterをちゃんとやってみようと今更ながら思ったわけです。

(本日は折り込みあります。よかったらどうぞ。)

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執着するということ

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私は何事にも執着する方です。

小さい頃から、ひとつのことに打ち込むことが好きです。ゲームという時代は長かったですが、今はネット、それもブログです。その昔、プラレールに執着しては従兄弟の家で脱糞するまで遊びほうけていたことは今でも親の語り草だったりします。

小学校の頃は野球に執着して、壁にひびが入るほどボールを投げていました。中学に入り、ファミコンとパソコンに魅了されました。誰よりも早く家に帰りいじりたかった。そして誰よりも早くドラクエをクリアしたかった。終い目にはドラクエ3の発売日、学校をサボってファミコンショップに行列し、いずれさぼったことがバレて、学校と親に大目玉を食らったこともあったりとか。

高校も3年になって、本格的にゲーセンにハマり、挑戦するゲームというゲームを攻略するために時間を費やし、誰も知らない情報を求めて、自分の足の運べる限りを尽くして情報集めをしました。もとより、自分が執着したことに対する行動力は我ながらあきれるほどあったと思います。

時は流れて2010年。私はネットの中のブログにハマり、iPhoneというガジェットの魅力にとりつかれています。

このブログに始めるにあたっても、iPhoneという「モノ」に執着した結果なんだと思います。どこまでもiPhoneに拘ってエントリーして色々な方々の反応を見てさらにモチベーションが上がっているから続いているんだろうと。それは、iPhoneという機械が実は本来持っているポテンシャルを多く隠し持っていた面にあります。それを探し出す魅力にとりつかれ、いつしか、いつものように執着していました。今はそんな不満もないんでしょうけども。

執着すると私は自分が知ったことを言わずにはいられないんです。誰かに言いたい。そして本当はよいものなんだと伝えたく思ってしまう。書くことに対して億劫に感じないのはそういうところもあるんだと思います。そして、書くこと自体にも執着しているのかもしれない。

そんなことも相まって、今のこの場所があるんだと思います。本当にありがたいことでもありますし、信じられないことでもあります。こんな自分のしたいことをしていて人が集まってくるとは夢にも思いませんでした。だからこそ、これからも大事にしたいと思うし、同類の仲間を大切にしたいと思います。ただ、それだけではなく、時に厳しい目で考えの違いを指摘したりもしてしまったりも。普段はしないのに。

執着するというのは恐いことで、「妥協を許さない」ということにも繋がるのかもしれません。好きだからこそ、見えること、普段は言えないことまで言えてしまうようになってしまうのです。そして、私の本当の姿が浮き彫りになる。

そんなところを今の自分は長所でもあり、一番危ないところでもあると思っています。良くも悪くもそれが自分の本当の姿なのかもしれません。

危うさは最初にも言ったように、私は何事にも執着するんだということ。そう、「人」にも。

自分ではいまだ気づいてないのかもしれませんが、おそらく執着された人は迷惑なんだろうと思います。今日大辞林で調べた「執着」という言葉の意味を改めてみると、やっぱり私は執着しているんだなと。心がとらわれて、思い切れていないんだと。

やっぱり、思いやりが一番大切なんだなぁと思う、今日この頃です。

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