@donpy 視点から見た #dpub 9

先日(2014/01/12(日))に、東京・六本木「豚組・しゃぶ庵」にて行われた「DPUB 9」からはや2週間が過ぎた。

イベントが終わり、珍しくイベントレポートの筆が進まない私は「自分から見た Dpub とは何か?」を暇があれば思いふけっていた。ようやく筆をとったと思えば、変な図形ばかり iMac に描き続けていた。

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最初にイメージしたのは丸だ。そこに d の領域、 p の領域、 u の領域、そして b の領域がどのような図形で埋まっていくのかをいろいろ落書きしながらイメージしていた。

この赤枠をイメージするならば、それ以上の枠を飛びだすのに相当なエネルギーが必要となる。

ならば、枠を取っ払ってみたらどうか。

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はじまりは非常に小さいものであって、そこから広がるものの方が大きい。ましてそれに限界(枠)はないものと考えたほうが自然だ。

あくまで Dpub は「単なる呑み会」であって、それそのものに深い意味はない。

ただ、そこに集まる人は「思い」、「伝え」、「考える」。dpub というイベントはあくまでも「きっかけ」に過ぎず、それをどう利用し、カタチにするかはすべて参加者に委ねられている。すべては自由なのだ。

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知り合い、繋げ、広げるためにそれぞれの参加者がそれぞれの思惑でイベントに参加している。

それはいつしか、参加回数を重ねるに従い、質・量ともに取り巻くものはどんどん膨れ上がっていく。それと共にその核心にあったものは視覚から徐々に消えていこうとするわけだが、見えない部分でその存在はどんどん大きくなっていく。

イベントレポートはそこであった出来事、共有できるような話題で伝えるのは当然のことかもしれないが、 dpub というものはそもそも参加者ひとりひとりすべて違って感じられ、起こる出来事もすべて違う。それは他のイベントでも似た部分はあるのだが、 dpub は実際にすべてが違うのだ。

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全員で同じものを見たとすれば、それは乾杯時と集合写真時の @ttachi さんだけではないかと思う。

その多くの参加者の中で「自分だけが感じられたこと」をシェアすることこそがレポートなのではないかと思った。

すべて肝心なところは概念にあり、そこからカタチにしていくことが大切なことであって、それは dpub というイベントから起こる「次なるアクション」なのだ。つまりイメージ図にしようとしたこと自体、難しいことなのだ。

心から楽しめたらそれでいい。それが私の結論だ。

みなさんはどう感じたのだろう。私はこの dpub ではじめて腰を据えて数名の方々と深く語り合うことができた。いつもなら、テーブルを渡り歩いて座ることもあまりなかったのだが。本当に楽しく過ごせたと思う。

見えなくなるほど dpub が小さくなったときこそ、dpub の大きさを知る。

そんなイベントであり続けてもらいたいなと思う。次回で10回目の開催を迎える dpub 、初の札幌開催で果たして私は何を思うのだろうか。楽しみである。

みなさんはどう思われましたか?

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なお、Dpub 参加者さんのイベントレポートが多数投稿されています。

それらのエントリーひとつひとつを読めばそこにストーリーがあることがお分かりになると思われます。当ブログでもできる限りのエントリーを集め、まとめさせていただきました。

ぜひそちらのエントリーもお読み頂ければと思います。

「Dpub9」参加者によるブログエントリーリンク全集と完全俺得コメント(随時 更新/コメント追加中) #Dpub9 | 覚醒する @CDiP



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