@donpy 通信【511号:2013/02/07版】

道具を使いこなすということ

道具(Tool)ってものをみなさんはどう使われていますか?

道具っていうかツールっていうか、そういう人間の生活そのものを変えてしまうくらい便利なものがたくさんありまして、今この記事を見ているiPhone(スマートフォン)であったり、Mac(PC)だったりするものもいわゆる「道具」のひとつだと思います。

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例えば、最近車を運転していてめちゃくちゃ便利だなと思ったのが、「バックモニター」なんです。

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私はバックが苦手で、これまで何度かバックしていった先にあるものを認識できずぶつけてしまったという苦い経験がございます。このたびの車には「バックモニター」を装備しまして、それは便利に使わせてもらってます。

みなさんの中でもバックモニターを使われているユーザーさんがいらっしゃるかと思いますが、どうでしょう。

最初から、そのバックモニターを100%頼り切って使っていたでしょうか?そのモニターに注視することが逆に怖いって思ったりしなかったでしょうか?

道具と人間の関係というのはそこなんじゃないかと思ったりします。確かにバックモニターは完璧にそのバックの視野をカバーしていて、その画面さえ見ていれば、後ろにぶつかることはまずありません。だから後方確認など目視する意味などないのでございます。この道具のおかげでバック時に車をぶつけることは少なくともなくなりました。まさにバックモニターバンザイ!って話なんですよ。

ところで私は思うのですが、バックモニターは確かに完璧です。でもその完璧は但し書きがあって、その視野の中においてはという話です。だから結局私は目視を怠りません。

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みなさんが毎日便利に使っているツールについても一緒のことが言えるんだと思います。

所詮人間が考えた道具であり、アプリでもあるわけです。大事なことは、その作った人間すら気付かない「死角が必ずある」ということと、それを使う人間はその「死角を認識するべき」ことだと思います。

ですから、私は「全自動」とか「これさえあればあとは鼻くそほじってれば」という話をまゆつばだと思いますし、そんなことはありえないことだと思うわけでございます。

道具を使いこなすというのは決してその機能を網羅的に知りつくしていることではないと思っています。むしろその中で、人間の手作業がどこで、どこに機械に任せればいいのかということを正しく認識することだと思います。機械とか道具におんぶしているようでは、道具を使いこなすどころか道具に使われている状態なんだと思うわけです。

道具は絶対ではないんです、道具はその不足を人間が補ってこそなんだと私は思ってます。

だから自分の頭で覚えていないと気持ち悪いと思うし、そんなネット環境みたいなものが常なんてことはこの平和ボケの日本だからこそ思えることなんだと認識するべきだと思います。

自分の使ってる道具がまったく使えなくなったときその代用策は果たしてあるのか。

今日は関東地方は雪が降りましたよね。そのほんの5cmくらいの雪のせいで交通事情は一変するわけです。

そのとき最後の頼りは自分の足なんですよね。道具が使えないときに結局頼りになるのは自分なのであって、ましてインフラ経由の道具などものすごく脆いものだと私は思っています。

iPhoneだからとかAndroidだからとかそんな次元の話でもないわけです。ある意味同じ次元です、そんな話。

かくいう私は、iPhoneブログを書いているんですがね。

そんなやつですら、そう思うわけですよ。

みなさんはどう思われましたか?

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